はっと我に返った。
しまったと思った。
慌ててユーサーの手を振りほどいて走るイグレインの、
初めて高鳴る胸の怪しい鼓動、
この抑えきれない情熱は、
豊かな酒のせいか、
それとももっと恐ろしい・・・・。
「おい、どうしたというのだ。」
ティンタージェル王は妻の駆け去る姿を認め、
大声を出して呼び止めたが、返事は来ない。
怪し、と思って後を追った。
イグレインは夜の大気に触れ、
王宮の回廊から見える町並みを背に、
風に吹かれつつ息を切らし、
巨大な柱に寄りかかっている。
暗がりのせいか、顔が青く輝いた。
「どうしたというのだ。
日頃の慎みを忘れたような慌てぶり。
お前らしくもない。」
とティンタージェルの王が尋ねれば、
激しい胸に手を当てつつ震える声で、
「ああ、あなた、なんということでしょう。」
とだけ言って、呼吸を整えている。
王は不審な顔で言葉を待つ。
「あなた、お聞き下さい。国を収める強大な王は、
私達を屈辱するためにここに呼び寄せたのです。」
屈辱を許さない武人であるゴーロイスの、
眉がにわかにこわばった。
「屈辱とはいかなる理由か」
彼女は咳き込むように答える。
「ユーサーです、
ユーサー・ペンドラゴンが、
私を抱き寄せようとしたのです。」
妻の両手は震えていた。
柔らかい唇は硬直し、
瞳には火花が揺らめいた。
激(げき)した彼女の心には、
腕を引かれた一刹那の感触が、
怪しく変容を遂げ、
自らの密かな願望が、
抱かれたいという願望が、
知らず知らずのうちに彼女をとりこにした。
イグレインは自らがいきなり抱き締められたと信じ、
夫の質問に上ずった声で答え続けた。
ついにことは決裂した。
怒りに震えるティンタージェルの王は、
配下を率いて王宮を後にする。
これに気づいたユーサーは、
はち切れんばかりの憤怒(ふんぬ)に身を任せ、
直ちにコーンウォールに軍隊を差し向けたのである。
兵達は鎧を整え、
剣を打ち鳴らし、
王城の門を後にした。
こうして束の間の和平は、
燃え上がる恋の炎によって、
1日を待たずして焼却されたのであった。
2007/04/10掲載
2007/06/08改訂