イグレインが扉をくぐると、栄光を極め我が身をさえも奪ったユーサーの姿はどこにもなかった。顔を蒼白に、首だけ持ち上げた弱き姿と会った時、イグレインの憎しみの炎は刹那に凍りつき、別れ行く人への愛情が、深く沸き上がるのを感じた。女の感情は不思議なものである、馬車の中では復讐の一瞥(いちべつ)で葬り去ろうかとさえした憎悪が、咄嗟(とっさ)に火勢(かせい)を増すこともあれば、鎮火することもある。推察するところ、二人の息子であるアーサーが、やがて寝室に訪れるという事実が、夫に対する愛情へと心を傾けさせたのかも知れなかった。
妻は歩み寄る。夫はその瞳を弱く見詰め返す。最後に出来ることは、ただ許しを請うことであった。しかし女は答えない。許すことは出来ない、愛情への冒涜は決して・・・心の奥の方で何かがうずく。女はただ夫の眼を覗いていた。ユーサーはそこに悲憎(ひぞう)を封じた冷たい結晶を見付け、我が心をしばし凍らせる。
実の息子であることを知らされたアーサーが、胸を葛藤に染めながら部屋に入ったのは、ちょうどこの時のことであった。すべてを話すほどユーサーの時は残されていない。ユーサーはただ、
「我が息子よ」
とアーサーを呼びかけた。アーサーは黙って国王の前に跪(ひざまず)く。母の心にぱっとあかりが灯る。母は黙ってアーサーの肩に手を掛け、彼を立ち上がらせた。ユーサーの言葉を聞かせるためである。
「我が息子アーサーよ」
その声は、枝から朽ちかけの病葉(わくらば)のようにかすれている。これはと思ったアーサーは、ただ
「はい」
と真剣に答え返した。
「お前にペンドラゴンの称号を託す。
国を治める王となり、ブリトンを束ね、外敵を退けよ。
それが、我の唯一の願いだ。よいな。」
アーサーははっとして国王の顔を見詰める。父はただ、
「よいな」
と枯れかけの声を絞り出す。母がアーサーの肩に手を掛ける。死ぬ前に答えてやれと催促する。アーサーは自分でも驚くほど冷静な声で、
「私にその資質があり、諸王の承認を得るならば、
私は生涯を賭(と)して国を守りましょう」
と答えた。ユーサーの瞳が一瞬輝いたように思われた。
「後のことはマーリンに。」
と視線を移して手を伸ばすので、妻は思わずその手を握りしめ、
「あなた」
と愛情の籠もった叫びを上げる。目に涙が溜まっている。それは刹那に見せた許しの言葉のようにも思われた。ユーサーの手から力が抜け落ち、瞼が永久(とわ)に輝きを塞ぐと、イグレインはわあと夫に抱きついて激しく泣きだした。アーサーはそれを黙って見ていた。
こうして国王が亡くなると、たちまち諸王が次期国王を巡って策動を開始した。国王の遺言と重臣であるウルフィアス、およびブラシャスの証言により、アーサーが正式の後継者であることが明らかにされたが、血統の正統性を疑い、さらに世襲など認めまいとする諸王たちは、アーサーの即位を認めずほかの遣り方で、もっと直接的な実力を行使して、国王の座を奪い取ろうと考えていた。しかしこの時、皆の前に立ったマーリンが宣言する。
「ユーサーが勝利の式典で剣を突き刺し、抜いたものを国王にと言ったのを忘れたか。これこそ正統の遺言である。エクスカリバーを抜いたものを王とせよ。そして剣の選んだ王にすべての者が従うと、ここで全員が宣誓するのだ。」
エクスカリバーの不思議な妖力に魅せられ、己(おのれ)の力量を買いかぶった諸王たちは、歓呼(かんこ)を持ってこれに賛同した。すなわち剣の儀式を行うことが定められたのである。
この剣の儀式においてアーサーがただ一人剣を抜き、ブリトン人の諸王の王となったこと。しかし反旗を翻す一部のブリトンの王たちといくさとなり、それを平定したこと。さらに再びモルゴースと再開し、その時二人の間にモルゴースと呼ばれる息子が宿ること。アーサーが正式の妻としてグウィネヴィアを迎え入れたが、やがてバン王のもとに嫁いだエレインが生んだ息子、ラーンスロットが現れて、グウィネヴィアと愛し合うようになること。サクソン人達の侵略や、大陸への遠征のこと。そして聖なる盃の話などは、次の物語りで語ることにしよう。
(終わり)
2007/11/19メルマガまで