「退却だ。ティラビル城まで敵陣を切り抜けよ。」
一刹那を見逃さず、ゴーロイスは馬を返し、
両軍激しく入り乱れる兵をなぎ倒しては駆け抜ける。
そのすさまじきこと、すさまじきこと。
配下の部将を従え、
甲冑の戦車のごとく進軍するその部隊は、
まるで両軍とは縁故のない独立した狼たちが、
獲物だけを目差して駆け抜けるようであった。
慌てたユーサーの勇将たちが手綱を引き、
乱戦の兵たちも狼の群れに襲いかかったが、
先頭を走るゴーロイスの剣に食いちぎられるか、
後に続く部将どもに槍で突かれ、
剣で切り裂かれ、
誰も進軍を止めることが出来なかったのである。
こうして退却を偽ったウルフィアスの作戦は、
見事に敵軍の壊滅となったものの、
肝心のティンタージェル王と武将どもを取り逃がし、
ユーサー軍は残党を狩りながら、
慌ててティラビル城に進攻を開始した。
城門を塞がれては、
ゴーロイスの首を落とすことも叶わぬ望みである。
霧はティンタージェル公の味方をした。
この付近の地理には、遙かに詳しいゴーロイスが、
ユーサー軍を振り切ってティラビル城に帰還したからである。
城門に立ったゴーロイスは、激しい声で開門を叫んだ。
これで何とか体勢を立て直せるはずだ、
危うく今日が命日になるところであった。
さすがの猛将もほっと安堵の溜息を付き、
やや落ち着いてもう一度、
「王の帰還だ、開門、開門!」と叫んだ。
しかし城門に立つべき兵の姿は見えず、
開門の声に答えるものはない。
「どうしたというのだ。敵だ、敵に出し抜かれた。
早く、扉を開けるのだ。」
と叫べば、ようやく城門の見張り台に立ったのは、
城に残ったブラシャスではないか。
かがり火に照らされて、
いくさを知らぬような涼しい顔で霧を受けている。
ゴーロイスの腹に、たちまち怒りが込み上げてきた。
偽りの情報に踊らされるとは、
なんたる失態であろうか。
「ブラシャス、見事に敵に出し抜かれた。
お前の情報は間違いだったのだ。
この償いをどう取るつもりだ、はやく門を開けるのだ。」
自ら歓喜して奇襲に出たのも忘れ、
顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
城門の前の炎がそれに驚いて、
ひとしきり赤く燃え上がっては、
霧さえも追い払って見せた。
2人の顔が暗がりにハッキリと浮かんだのである。
大いに驚いて見せたブラシャスは、
「何ということか!」
と目を丸くして、慌てて城内に声を張り上げた。
「開門だ、はやく開門しろ!」
城門はきしみを上げて左右に分かれ、
惨敗の騎士達は転がり込むように、
ティラビルの中に滑り込んだのである。
もしこの世が善意の神だけの治める楽園であったならば、
これほど果敢に闘いようやく帰還した勇猛の英雄に、
さらなる仕打ちを与えたりはしなかっただろう。
しかし現世(げんせ)は無情の連なりであり、
神々の所業(しょぎょう)も時に凄惨を極めるのが、
現世(うつしよ)の習(なら)いならば、
ゴーロイスよ、
今は甘んじて天命が尽きるのを受けるのみ。
お前の勇猛果敢の姿は、
長く人々に語られることだろう。
すなわち城門はたちまち閉じられ、
ゴーロイスが怪しと思った時には遅かった。
たちまち四方から弓矢が放たれ、
勇猛果敢で知られる兵士どもも、
苦楽を共にした怪力の騎士達も、
返す剣を遙かに超える矢じりの先に、
肉を貫かれて大地に崩れ落ちる。
恐れた馬が錯乱してはぶつかり合い、
立てかけられた松明が火の粉を散らし、
霧を含んだ大気がゆらゆらと陽炎のように揺れた。
激しい悲鳴や金属のぶつかる音が無ければ、
セピア色の夢の中にいるような不思議な光景だった。
おぞましい幻想と混乱と恐怖が兵達を襲い、
敵の居場所すら分からないまま、
討ち果たされていったのである。
辛うじて城門の上に立つ憎き姿が、
憎きブラシャスの姿だけが、
冷酷に直立して我を見下ろしている。
「何の真似だ!」
ゴーロイスはありったけの声を振り絞り、
弓を払いブラシャスを睨み付けた。
ブラシャスは冷たい瞳をゴーロイスに投げ返す。
「ゴーロイスよ、お前に怨みはないが、世の常だ。
我が王ユーサー・ペンドラゴンに刃向かったことを恥じるがいい。」
そう叫んで右手を振り下ろすと、
避けきれぬほどの弓が再びゴーロイスを目がけ、
勇将の体を鎧ごとぶち抜いた。
すでに城全体を掌握していたユーサーの兵どもが、
一斉にゴーロイスと残党にとどめを刺そうと襲いかかる。
この時おのれの敗北を知り、
怒り震えるゴーロイスは剣を高く突き上げ、
すさまじい叫び声を上げた。
まるで森林の英雄を欲しいままにした狼が、
ついに人間どもに追いつめられて、
天に向かって張り上げるような、
猛々しくも悲しい叫び声を上げたのである。
声はティラビル城を抜け、深い森を抜け、
いくさに怯える動物たちの心に、
氷のナイフとなって突き刺さり、
狼どもが葬儀のラッパのような声で、
ゴーロイスの声に答えようと、
悲しい響きを霧の中に張り上げた。
手負いの勇者は倒れない。
剣を振り割き、
槍をへし折り、
弓矢を跳ね返し、
まだ一人、もう一人でも道連れにと、
命果てるまで殺戮を止めないゴーロイスの、
もはや一人となって立ちつくす城の中庭に、
次々に打ち倒されるユーサーの兵、
また兵の数は限りを知れず、
恐れた兵たちが誰も近づけなくなった時、
異様の静寂があたりを包み込んだ。
ついに悪魔と化した敵将の恐ろさに、
誰もがその場から逃げ出したいと思ったのである。
しかしブラシャスは冷静だった。
城門の上から悪魔に定めた遠弓の矢が、
背中を向けたゴーロイスの首筋を、
満身の力を込めて打ち抜いたのである。
仲間の恐怖を打ち払うように、
彼は朗々とした現世(うつしよ)の声を張り上げた。
「王よ、ブラシャスの名誉のために聞くがいい。
私はブラシャスにあらず。
マーリンの術によりブラシャスに変じた、
ユーサーの部将ウルフィアスである。」
ウルフィアスの最後の言葉が届いたかどうか。
さすがのゴーロイスも満身創痍、
生命の絆さえ矢で射抜かれ、
剣を握りしめたまま動きを止めた。
おそるおそる兵達が近付けば、
すでに事切れていた。
こうして、
ティラビル城攻防戦は幕を閉じたのである。
この夜、ティンタージェル城に向かった残党たちは、
深い霧に方角を失い、
城にたどり着くことなく、
朝まで闇をさ迷った。
2007/05/15掲載
2007/06/24改訂