・簡単に説明すると、1865年にシューベルトの友人だったアンセルム・ヒュッテンブレンナーの蔵書の中からこの自筆楽譜が発見されたが、これは第3楽章の9小節目の後ろ側で、切り取られて無くなっていた。スコアの冒頭には1822年10月30日の記述があり、スケッチをスコア化し始めた日付ではないかとされている。このまったく忘却され、ほとんど資料にも顔を出さないシンフォニーは、晩年を迎えていたアンセルム自身が持ちだしたものではなく、アンセルムの弟でシューベルトの秘書を務めつつ共に暮らしたこともあるヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーが、兄元にシューベルトの交響曲スコアがあることを思い出して、一流にはなれなかった作曲家の兄アンセルムの作品上演のために、ヨハン・ヘルベックに話を持ちかけたという経緯があり、シューベルト未完作品の発見に、大喜びでその年の内に初演を行なったところ、大ブレークして今日に至ってしまったわけだ。その後何故こんな交響曲をお持ちなのですという、ジャーナリズムの声に対して、ヒュッテンブレンナーは「シュタイエルマルク音楽協会の名誉会員としてシューベルトが選ばれたとき、交響曲作曲の提出が約束されて、取りあえず2楽章まで出来たところでアンセルムの元に手渡されたまま、残りがこなかったので、すっかり忘れてしまったのさ。」と説明したが、何故これほどの作品が2楽章止まりなのかというミステリーに始まり、シューベルトの大量の手紙の中にも言及が見あたらないだの、アンセルムがシューベルトの死後すぐにこれを発表しなかったのは何故だだの、その後伝記を書くためにあれこれ聞かれたときにもこの曲について述べていないじゃないかなど、様々な謎が「未完成伝説」を誇大妄想化させ、ついには白黒映画の迷作・・・じゃなかった、名作「未完成交響楽」において、エステルハージー伯爵家の令嬢カロリーネとの恋に破れた刹那に作曲が中断し、「わが恋の終わざるが如く、この曲もまた終わざるべし」と字幕が流れて涙を誘う?離れ業に辿り着いた。ところがその後20世紀半ばになってから、ヴィーンで切り取られた後ろ側の第3楽章2ページ目(10-20小節まで書き込み、残りは空白)が発見され、続けて総譜化を続けるために続く部分を手元に置いたが、結局止めてしまったのか、ここで終わりと切り取ったのか、なんでアンセルムが持っているのか、本当に音楽協会と関係があるのか、ようするに、今日に至ってもさっぱりもって分かっていない。また1823年入院に至った切ない男性の病と関係があるとも考えられているが、それはシューベルトの生涯の方に記しておこう。
・そんな訳で、1865年にアンセルムの作品と共に初演される運びとなったそうだ。
・三本使用のトロンボーンの効果は見逃せない?
・フルート2,オーボエ2,クラリネット2,ファゴット2,ホルン2,トランペット2,トロンボーン3、ティンパニ1対,弦5部
2006/01/19