ベートーヴェン、交響曲第2番ニ長調Op.36(1802)、概説

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概説

・1800年に弦楽4重奏曲6曲(作品18)と共に交響曲第1番を送り出して以来、ピアノ協奏曲第3番(1800)、プロメテウスの創造物(1811)、多くのピアノソナータを作曲し、演奏会、交際、ピアノ教師としての仕事など順調に進行する中、耳の調子が芳しくない事やヴィーン宮廷での定職が適わないことや何だか苛々して、一人躁状態と鬱状態がロンドーを描く心持ちがしたベートーヴェンは、医者に勧められてハイリゲンシュタットに赴き、「自分の遺書を親類に向かって書くことによって精神の不安定を克服するの」処方箋を実践しようとした。この医者はフロイトがマーラーを見る100年以上まえに精神科医の仕事を全うしていたのだが、本人が気に留めなかったので、何の証拠も残さず、今日ではベートーヴェンが不意に自殺の強迫観念に駆られて遺書をしたためたと勘違いされている。もちろんやはりベートーヴェンは鬱の風が吹きすさび心が暗く下方変位してドッペルの9の和音が染み渡るのに任せて遺書をしたためてしまったでも構わないが、その場合でも今自害しようと書いたのではなく、今後聴覚が完全に駄目になって死に至る道だけが残されていた場合の保険として書かれたのであり、自分が何時か死んだ場合に見つけ出される事を意図して書かれたものであり、また将来自分が毎度沸き起こって来る鬱状態の暗い情念を書き記すことによってある種の蹴りを付けたかったのだろう。初め兄弟に向かって書かれた手紙の出だしが、書いている間に途中から自らの内面との対話や自己精神の確認に移ろって、また手紙の対象者に向けた文章に変化するなど非常に錯綜していて、もし一流の小説家がわざとこの効果を狙った手紙をねつ造しても到底適わないほどのある種の作曲外の創作物になっている。このハイリゲンシュタットの遺書と呼ばれる手紙と不滅の恋人の手紙は、作曲の天才としての能力が不可解な方法で手紙の中に無頓着に表出してしまったたぐいまれなる例なのかも知れない。なお、本人の手紙では「ハイグルンシュタット」と書き込まれているので、これから我々はそう呼ぼうじゃないか。いずれにせよこの第2番は1800年のスケッチブックに第1楽章の序奏などが現れてから構想されていたが、1802年この遺書の書かれたハイリゲンシュタットに滞在している間に集中的に作曲され、同年のうちに完成し、翌年1803年4月5日にアン・デア・ヴィーン劇場で作曲者の指揮によって初演を迎えることになった。献呈を受けたのは、彼の重要な支援家の一人であったリヒノフスキー候で、出版は管弦楽のパート譜が1804年に、総譜が1822年にジムロック社から出版された。

楽器編成

・フルート2,オーボエ2,クラリネット2,ファゴット2,ホルン2,トランペット2,ティンパニ1対,弦5部

演奏時間

カラヤン(愛称ころよん)指揮ベルリン・フィル1961,2年演奏の時間
  第1楽章-10:16
  第2楽章-10:33
  第3楽章-3:51
  第4楽章-6:18

古楽演奏のガーディナー版の時間(すべて繰り返し有り)CD作成が1994年
  第1楽章-12:07
  第2楽章-10:18
  第3楽章-4:25
  第4楽章-6:07




2005/4/24




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